「周辺にあるもの」

芸術。人が生きていくために必要なものだと思ってきました。私も芸大時代からずっと芸術という世界にいて「表現する世界」に拠点を置いてきました。しかしそこだけにこだわっていては見えない世界がある。むしろ周辺の世界は大きいと感じはじめた時がありました。「できてしまった今から始める」「現実がロジックを超越する」という考えです。

こうして、私の活動は大きく舵を切り替えました。足元を再考する世の中の機運と共に「表現する」ことから「日常のものをさがす」ことへの変化です。地域や日常にものづくりの動機があるという考えはその後、一般化してきていきます。

素敵な本を見つけました。本のタイトルだけでは内容かがよくわからないものでした。「コケ玉」「ウコン染め」の項目があると思えば、「柿の葉寿司」「ドクダミ茶」の作り方、果ては「綿の紡ぎ方」まで。つまり植物に関わる「衣食住」の行為をフワーッとまとめた本です。美術の原初の形を見た思いがしました。私たちが抱きがちな芸術のイメージとは裏腹に、生きる上での生活の知恵や工夫や美しさが詰まっています。知の暴走の果ての原発事故や、異常気象による水害や崩落を見てしまった私には、この本の「かつての普通の日常」がはてしなく素晴らしいことに思えます。

美は普遍的なものというよりも、むしろ時代とともに変容していく概念だと思うようになりました。 変化や曖昧さに寛容で、コピーしながらオリジナルを形成してきた日本です。アジアの文化をベースにした次代の哲学が必要です。民族性やルーツを紐解いてゆくことが新しい地平を切り開くかもしれません。芸術の周辺にあるものをたどりわかったこと、それは、地域や日常や伝統にあったモノやコトを柔軟に「受容、吸収、解体、統合、再構築」するところに思わぬ価値が潜んでいるということです。

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