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「工程そのものに充足が含まれている」2023年
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「愛する工芸へ」 2023年
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「周辺にあるもの」 2023年
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「型」 2013年
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「きらきらと溜息のふきだし」2012年
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「展覧会「ネオ・テキスタイル」で考えたこと」 2011年
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「装飾的に愛らしく極める」2008年
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「遊びと失敗のススメ」-子供ワークショップを考える- 2007年「遊びと失敗のススメ」
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四十八茶百鼠/テープの曲線 2023年
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flower bed 2023年
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フィトテラピー 2023年
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熱帯 2022年
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GARDEN 2022年
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Humidity in Asia 2021年
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COLORS 2021年(退職記念展)
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Extreme flowers 2020年
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フィトテラピーI,II,III fitterapi 2019年
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カレイドスコピック 2017年
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ときわ−Asian Botanical Garden-no.1.2 2015年
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幟(のぼり)大原美術館中庭 2015年
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ときわ 2013年
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soft piece 2011年
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shangrila-Kumo- 2009年
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shangrila-Nami- 2009年
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流響院 2009年
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shanglira 2009年
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Matsu・Ume・Kiku・Nami 2008年
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HEAVEN 2007年
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DREAMS 2004年
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flowers 2003年 軸
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Colors 2003年
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Plantation(軸三幅対) 2002年
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格子模様の布 2001年
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縄文縦縞布 1997年
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月 1996年
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長月の光 1995年
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長月の光 1995年 屏風
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満天・緑の舌 1994年
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食卓、南の風 1994年
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空間に在るもの 1993年
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水のトンネル 1992年
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四十八茶百鼠 2022年
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夏の服ー装飾
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帆布のトートバッグ
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パズル(浴衣) 2011~
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浴衣「パズル」
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モスリンのアロハシャツ
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展覧会タイトルは「GARDEN」にした。植物をモチーフにした作品群であるという理由である。以前より、なぜ植物をテーマにするのか問われることがあった。そのたびになんとなくそれなりに答え、よくわからないので宿題にしたい、と放置してきた。いよいよ、今回こそその問いに正面から向き合わなければならないと覚悟を決めた。大学院時代から私の研究テーマは「模様」であり、その代表の花鳥風月は色や形で表現するに最もふさわしい模様である。しかし単に綺麗なものが好きだったわけではない、と今にして思う。作品制作の時間と生活の時間は意識の上ではあまり重なることはない。しかし、この2つの時間は深い関係があるのではないかと最近思うようになった。
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その話を始める。私は唯一の趣味を持っている。それは生き物(植物、動物ともに)を育てることである。観葉植物でいえば実家から引き継いだ30年選手のゴムの木をはじめ、ドラセナ、クワズイモ、リュウビンタイ、モンステラ、シュロ、コーヒーの木など株分けしながら徐々に拡大してきている。夏は屋外で高温多湿の恩恵を受けさせ、冬は室内で越冬させる。数年に一度は張り過ぎた根を切り詰め、土を入れ替えて生き返らせる。そんなことを続けているうちに、この季節にはこの作業を欲しがっている、こうして欲しい、ああしてほしい、がなんとなくわかるようになってきた。わかることも増えたがわからないこともまだまだある。剪定し過ぎた枝は来年を待たなければ復活しない。もしかして切り詰めたことで命を落とすかもしれない。失敗もある。ここでわかった。私が好きなのは植物そのものを愛でることではなく「飼育」であるということ。そう思うと、確かに観葉植物だけではない。30年暮らしていると、庭の木々も大きくなる。ブナやヤマザクラは放っておくと手に追えない高さになる。それでは困るので、落葉した晩秋には、ハシゴをかけてチェーンソーやのこぎりを使い、木を切り詰める。それでも来春には確実に新芽が出て夏には想像以上に葉をつけ、真夏には1度透かさなければならないほど生い茂る。そして2023年、この土地を離れる隣人から敷地を譲り受けた。ここでまた「飼育魂」に火がついた。広くなった敷地は農園をすることにした。野菜作りのビギナーとして入門書を読んでいると、本によって書いていることが違う。正解は自分で作れということか、と理解した。でもどの本にも共通することもあった。「土づくりの大切さ」その1点である。で、土って何、というところから勉強は始まった。このあたりの紆余曲折は飛ばすとして、結局のところ現在行き着いたのは、「カーボンファーミング」という考え方で、土壌中に炭素を貯留させる農業生産方法である。地球温暖化抑制の手段とも考えられていて、近年評価されている。農薬や化学肥料を使うとむしろ耐性を獲得した害虫が発生しやすいし、収穫量が落ちるというデータまで出始めていて、そうならこの考えに乗らないという選択肢はない。落ち葉や剪定枝や雑草などの有機物を肥料化する実験を始めている。今までは捨てていた落ち葉が有効活用できるので、自然循環は捨てるところがない、未来的な方法かもしれない。話を元にもどすと、自分の時間が少し増えたこの1年間に、「植物生活」の時間が増えた。クワやシャベルを持ち、土の中を触っていると、その匂いで良い土か悪い土かも区別できるようになった。どんな樹木やどんな雑草がどんな根の張り方をしているかもわかった。自分の意のままにならない自然を相手に、春夏秋冬の温度や湿度を味方につけながら、なんとか自分の方法で植物を育んでみたいと思う。私にとってこの格闘は新鮮である。これは「里山管理」という概念に近い。里山とは人が管理した自然のことで、山裾を切り開き、動物を飼育し、畑も作る。知れば知るほど、人間の都合が良いようにデザインされていることがわかる。すばらしく管理された里山の暮らしをテレビで見たことがあるが、その桃源郷のような暮らしは、手つかずの自然ではなく、たゆまぬ努力で完成するのだと知った。
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展覧会「GARDEN」には私の里山があると言える。植物を愛でるというより、もう少しドライな気持ちで植物に向き合っている。植物と戦っているという方が合っているかもしれない。植物をパソコンのデータ上で切ったり貼ったりしながら、加工し、徐々にレプリカント植物に育て上げていく。「GARDEN」は45枚のパネル組み作品だが、引き合いがあれば、1点ずつ手放し無くなっていく。その場合同じ作品ではなく、新作で埋めることにしている。そうすることであたかも庭の植物にように毎年入れ変わって、庭の風景を変えてくれる。まさに我が家の「GARDEN」そのものとも言える。この1年間、土を触りながら感じたこと、それは、長年繰り返してきた園芸の作業は、制作でもあると同時に生活でもあり、実は私のルーツそのものではなかっただろうかということだ。植物を扱う以上、そこに完成形というものは無く、過程にコミットするだけである。「工程そのものに充足が含まれている」はこの展覧会で得た1つの結論である。「GAEDEN」は終わらない。
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