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百合と羊歯・ニシキシダ・アスプレニウム・ニュウサイラン・カシワバゴムバンビーノ
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GARDEN 2025
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四十八茶百鼠/テープの曲線 2023年
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フィトテラピー 2023年
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ときわ−Asian Botanical Garden-no.1.2 2015年
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幟(のぼり)大原美術館中庭 2015年
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ときわ 2013年
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soft piece 2011年
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shanglira 2009年
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flowers 2003年 軸
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Colors 2003年
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Plantation(軸三幅対) 2002年
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格子模様の布 2001年
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縄文縦縞布 1997年
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月 1996年
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長月の光 1995年
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長月の光 1995年 屏風
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満天・緑の舌 1994年
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食卓、南の風 1994年
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空間に在るもの 1993年
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水のトンネル 1992年
190X360X10cm、 綿布、ナイロンネット、ハンドスクリーンプリント、その他
展覧会「GARDENについて」 「植物生活」
展覧会タイトルは「GARDEN」。かつて「なぜ植物なのか」と問われることがあった。よくわからないので放置してきたが、今回その問いに向き合ってみることにした。思えば大学院時代、私の研究テーマは「模様」だった。その代表は花鳥風月である。しかし単に美しい色や形が好きだったわけではない、と今にして思う。
作品制作の時間と、そうでない日常のゴタゴタした時間は別物だと思っていた。しかし、この2つの時間は別物ではないと考えを改めた。その話をまず。私は昔から植物を育てるという唯一の趣味を持っていた。実家から引き継いだ30年選手のゴムの木をはじめ、ドラセナ、クワズイモ、リュウビンタイ、コーヒーの木など株分けしながら育てている。今年からバナナやパパイヤも増えた。夏は屋外で日光や雨水を受けさせ、冬は室内で越冬させる。数年に一度は根を切り詰め、土を入れ替え深呼吸させる。そんなことを続けているうちに、この季節にはこの作業を欲しがっている、ということがわかるようになってきた。そうなると手間をかけることが楽しく思える。ここでわかった。私が好きなのは植物そのものを愛でることではなく「手入れ」であるということである。そのつながりで言うと、庭の樹木もしかり。ナラやヤマザクラは成長が早く放っておくと手に追えない高さになるので、晩秋には、ハシゴをかけてのこぎりで木を切り詰める。さらに昨年、隣人から敷地を譲り受けた。広くなった土地は、何の覚悟もないまま農園にした。野菜作りのビギナーとして数冊の入門書を読んでいると、共通点に気づいた。どの本もまず土づくりの大切さを説いている。で、土って何。というところから勉強は始まった。このあたりの理解の紆余曲折は飛ばすとして、結局のところ行きついたのは「カーボンファーミング」という考え方で、土壌中に炭素を貯留させる農業生産方法である。地球温暖化抑制の手段とも考えられていて、近年評価されている。化学肥料を使うと耐性を獲得した害虫が発生しやすいし、収穫量が落ちるというデータまで出始めていて、そうならこの考えに乗らない手はない。落ち葉や前定枝が有効活用できる。捨てるところがない自然循環は未来的な方法かもしれない。自分の時間が増えたこの1年間に学習と実践の時間が増えた。クワやシャベルを持ち、土の中を触っていると、その匂いで良い土か悪い土かも区別できるようになった。雑草がどんな根の張り方をしているかもわかった。新鮮な葛藤の時間である。
最初の問いに戻る。この経験がすぐに今回の作品制作につながったとは思えないが、少なからず影響は受けた。植物を愛でるというより、もう少しドライな気持ちである。植物をデータ上で切ったり貼ったりしながら加工し、徐々に好みの空想植物に育てあげていく。私の作品のルーツは、長年繰り返してきた園芸作業や、土を触りながら進行する実験農場に見いだせるように思う。「育てていく」という進行形の形が好きなのであろう。植物には完成形というものは無く、私は彼らが生きる過程にコミットするだけである。工程そのものに充足がある。
2025.夏 八幡はるみ